勝利宣言/長島フクからの年賀状(8)

去年の九月は、図書館などに何度か足を運んで色々調べていました。
証拠にはならないので省略していたこともあるので、ここに書いておきます。
末広旅館の名前が印刷してある年賀状が、昭和34年の正月に送られてくることが本当にあり得るかどうか、以前のエントリと合わせて想像してみてください。


昭和34年の東京都区内の電話帳を確認したところ、

正美商会 不動産部 足、千住末広75
長島勝三郎(不動産) 足、千住末広75

の二つが同じ電話番号で見つかりました。

以前のエントリで書いた様に、やはり住所は足立区千住末広町75で正しいようです。
そして電話帳は昭和34年6月25日印刷となっていて、係の人に聞いたところ、この日付の大体三ヶ月前ぐらいがデータの締め切りではないかと言われました。そうすると34年3月が締め切りです。データの締め切りの直前まで末広旅館があって、廃業して間を置かず直ぐに不動産屋を営業し始めたと考えるのは不自然です。
昭和33年の終わりまでには不動産屋になっていたと考えるべきでしょう。(たとえそう考えなくても、以前のエントリで書いたように新聞記事の内容だけで、末広旅館が昭和31年に廃業していることは確実です)


昭和33年の9月には二度の台風(17日と26日)によって、足立区で大きな被害が出ています。
全世帯の約七割、約六万世帯が浸水。
末広旅館があった場所の前にはドブ川があったので、おそらく無事ではなかったと思います。