藤井システムは奇襲戦法ではない

奇襲戦法の背後には理論の緻密化がある

書いてあることが間違っているとは思わないが、私の脳内にある藤井システムのイメージとは違っている。


藤井システム」は奇襲ではなく、「戦法」でもない。それはシステムであり、序盤における思想である。

振り飛車というのは、自分の側はある程度決まった形で、相手側が選択する作戦(急戦、左美濃穴熊etc..)の全てに対応しなければならない。これを極端に表現すると、自分は毎回グーを出しているのに、相手はグーチョキパーを自由に選択できるようなものである。これでは勝ち目が薄い。
振り飛車側が、この状況を逆転するにはどうすればよいか。
相手がグーチョキパーのどれを出したか確認してから、自分が後出しできるようにすればよい。


藤井システムが登場する以前の序盤の考え方は、「一番価値の高い手を先に指し、価値の低い手を後に指す」であった。価値の高い手というのは、駒の働きをより良くする手、玉をより安全にする手である。しかし、この考え方では限界がある。藤井システムでは、形を決める手、選択肢を狭める手は極力指さずに我慢して後回しにする。形を決めるのは、常に相手の作戦が判明した後になるようにしてしまうのである。
この考え方は、藤井システムと全く関係のない局面においても明らかに有効であり、実際に大きな影響をあたえている。従って、戦法ではなく、序盤における思想なのである。

奇襲戦法は相手が形を作るより前に自分の方から動き出す。その代償として、作戦の選択肢はなくなってしまう。相手の変化に対応ができない。藤井システムは奇襲戦法ではない。それどころか、奇襲戦法から最も遠い存在である。